6月8日アドバンス・ケア・プランニング(ACP)研修報告

講演:「いよいよになって慌てないために私達ができること」

講師:公立大学法人 福島県立医科大 地域・家庭医療学講座

    菅家 智史 先生 (総合診療医・家庭医)

 令和元年6月8日14:00~16:30伊達市保原中央交流館大会議室にて研修は行われた。当日はあいにくの雨模様だったが、伊達市、桑折町、国見町、川俣町在住の、医療・介護・福祉の専門職85名程が参加した。

 まず、伊達医師会会長である、なかのクリニック院長 中野新一先生より挨拶がなされ、伊達ネットワーク委員会は震災から2年後の2013年に発足したものであること、今回のテーマである地域包括ケアについては、2025年問題を受けて医師会でも大きく取り上げているテーマであることなどが話された。

 続いて、伊達ネットワーク委員会委員長 桑名医院院長 桑名俊光先生より今回の講師である菅家(かんけ)先生の紹介がなされた。伊達市では高齢化が進み地域での看取り体制を構築することが急務であり、今まで在宅での看取りをテーマに研修をしてきたこと。「アドバンス・ケア・プランニング」(ACP)をネット検索すると菅家先生が一番最初にヒットし、大変ご高名な先生であることが紹介された。

 菅家先生が拍手で迎えられ、ご自身より若干のプロフィールが語られた。会津のご出身で趣味は会津人らしく日本酒と燻製とのこと、バスケが好きで子供と一緒にポケモンを見るのもお好きである等の話をされた。10年前に地元伊達市の保原中央クリニックで勤務されていた当時のことも語られ、庶民派医師の久しぶりの帰郷に、会場全体は懐かしさと歓迎の気持ちで包まれた。

 菅家先生は総合診療を専門とされているが、その内容を話され、病気の方がいれば子供から高齢者までなんでもまずは引き受け、必要に応じ専門医につないでいく医師であること。今後ますます進んでいく高齢社会にあって、地域包括ケアを支える要として、活躍が期待されている診療科目であることが紹介された。

 いよいよ本題である「アドバンス・ケア・プランイング」(以下ACPと表記)の話が始まった。今回の研修は日本医師会で行われた「患者の意思を尊重した意思決定のための研修会」の内容に沿って行うものであること。厚生労働省のHPにある「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」を使って行うものであることが説明された。

 ここで菅家先生より、グループワークの提案がなされ、「いよいよのとき、なぜ患者や家族は慌てるのか?」をテーマとした、簡単なグループワークが行われた。(当日の研修配置は、後半のワークショップのため、7~8人がけのグループですでに着座している。)

 どのような話し合いがされたのか各グループに聞いてみると、「どうなってしまうのか分からないので怖い」、「相談できる人がいないので慌ててしまう」等々の話が出た。

  いよいよの時が来ると、患者や家族は予測していないのが現実。医師は経験上その時を予測しているが、患者や家族と共有されていない。それが今の医療現場なのだと考えさせられた。ACPは言葉は難しいかもしれないが内容は難しいことではなく、いよいよの時がくると医師だけでなく、患者本人・家族もそれを予測して、関係者が皆で共有して行う終末医療の在り方なのであるとの説明が、菅家先生よりなされた。

 資料より抜粋 (本日覚えて頂くこと)

❚ 今日の要点
間もなくいよいよのときがきそうなら
本人がどうしたいか、したくないか聴く、できるだけそれに合わせて支援する
本人が話せなくなったときに備えて
本人の代わりにみんなで考えられるように本人の考え方・価値観を聴いておく
代わりに誰に判断してほしいか聴いておく

 一方、予測という側面から見ると、今までの終末期ケアが“がん”を想定しているものであり、比較的予測のし易さがあったが、“心・肺疾患”や、認知症・老衰”による終末の場合、“がん”とはまた別の「病の軌跡」をたどるので、そこに難しさもあると菅家先生は話された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


例えば、心・肺疾患の方の場合は、急に悪くなるが回復される。そういった周期が2~3回あって終末を迎える。そこにACPの難しさがある。つまり「ACPは一体誰がいつ行うのか」という問題である。しかし、大切なことは、終末期に「何をしたいのか、何をしたくないのか」患者の意思に沿うこと、只それだけなのだと先生は強調された。

 ここで1つの事例を菅家先生は話された。あるがん患者は「家に帰りたい」と話していた。なぜなのか本人の自宅の部屋に行ってみて、良く理解できたと先生は話される。ご自宅の部屋は角部屋で部屋の窓を開けると、会津の田園の心地良い風が部屋いっぱいに入り込んでくる。そういった環境で育ってきたなら、(無機質な病院の部屋などでなく)自宅で最期を迎えたいというのは、自然な感情だと思ったと。

 ACPの学問的定義は、「重篤な疾患ならびに慢性疾患において、患者の価値や目標を、選好を実際に受ける医療に反映させること」と定義できる。いよいよのときに、本人がどうしたいのか、したくないのか聞き、できるだけそれに合わせて支援することである。

 ただ注意しなければならないのは、患者から発せられた言葉をそのまま鵜呑みにすることではなく、その表現の裏側にある価値観に沿った支援をすることが大切である。

 例えばある患者が「入院は嫌だ」と言ったとする、何故入院が嫌なのか聞いてみると、「病院のご飯がまずいから」と答えたとする。それは治療としての入院を拒否したのではなく、「まずいご飯を出す病院は嫌だ」と言っているのである。美味しいご飯を出す病院なら喜んで入院するということになる。注意すべきは、患者の言いなりになってしまうのでなく、発せられた表現の底にある真意=価値観に合わせることなのであって、それがACPなのである。

 一方では、いよいよのときが来たことを、ご本人に話すかどうかを調査したアンケートでは、話さないが54%、話すは3%という結果もある。縁起が悪いなどの理由で死そのものがタブーになってしまう文化的背景もある。そういったところへの働きかけも今後必要になってくると先生は言う。

 ところで、ご本人の意思決定に沿うことの大切さをここまで話してきたが、意思表示ができる・できないは、一体どうやって判断するのであろうか。意思表示は100-0で判断するのではなく、本人の「意思決定力」に合わせて判断するのが大切である。疾患や年齢で意思決定0とは決められないし、逆に普段の状態だけで意思決定100としてしまうのも早計である。

 意思決定力を評価する手段として、治療に必要な情報を患者に提供してインタビューし、質問に回答してもらうという方法がある。その回答を、意思決定力を構成する4つの要素で評価することで、その能力を測る。4つの要素とは、「理解」・「認識」・「論理的思考」・「表出」である。

以下 資料からの抜粋

        意思決定能力を構成する4つの要素
理解
「どのような説明を受けましたか? 教えてください」
「あなたの病名は何ですか?」
病気の内容を理解しているか 病名・病状・病期など
提案された治療を代替案の内容を理解しているか
それらの利益と負担について説明された内容を回答するか
認識
「ご自身の病状について、ご自身の言葉で教えていただけますか?」
「これから行われる治療を、その必要性について、ご自身の言葉で教えていただけますか?」
病気や治療方針などについて説明を受けたことを理解している
説明された病気症状の存在を理解している
意思決定を行う必要性を理解している
提案された治療方針が自分にとって利益をもたらすことを理解している
論理的思考
「どうすることがご自身にとって最も良い方針ですか? 理由を教えていただけますか?」
「あなたが選択した方針は、あなたの生活にどのように影響すると思われますか?」
選択肢が自分に与えうる利益と不利益とをバランスを取りながら自己査定している
選択が日常生活に与える影響について評価している
選択の内容は一貫している
選択は患者自身の推論に基づいている
表明
口頭で確認する必要はなく、書面や他者を介してもよい
提示された選択肢の中から特定のものを選択 あるいは 他者に選択を依頼

 この意思決定の能力の評価方法はスタンダードなやり方であるが、本人から導き出された答えに“つじつまが合っている”ならば、それは意思決定能力があると言えるのだ。(導き出された答え自体がスタンダードかどうかで判断するのは間違いである)

 また、意思決定できなくなったときに備えて、信用できる人を選定しておくことも、ACPでは大切なプロセスである。しかし、選定していても、選ばれた方が代理決定者であることを知っている場合は以外に少ない。本人を交えての関係者間の情報共有がされていないことが多いからだ。

 終末期のケアについて、書面で残しておけばいいのではないかとの意見もあるだろう。しかし、アメリカでは「エンド・オブ・ライフ」というカードを作り、いざというときに、何をしてほしいか欲しくないかについて書面に残したが、ほとんど役に立っていなかったという調査結果が出ている。結局、いざというときには、家族や周囲の関係者は救急車を呼び、延命を行っていたのである。意思表示カードを作っても、価値観の共有ができていないと、うまく使用することはできない。

 さて、先ほど「ACPは一体誰がいつ行うのか」と問題があることを指摘した。ACPは早すぎると不明確で不正確なものになってしまう。遅いとACPそのものが行われず終末を迎える。タイミングが非常に重要である。

 適切なタイミングを計る手段として、先生が日頃から使っている方法があるという。それは、「この患者さんが1年以内に亡くなったら驚くか?」と自分自身に問うてみることだ。驚くことなくすんなり予測できるなら、緩和ケア開始のタイミングであり、ACP開始の時期と考えて良い。ACPは絶対的なものではなく、病状の進行によって随時変化していくものでもある。患者の意思は常にゆらいでいるのであって、一旦決まった治療方針は変わる可能性があることを念頭に置く必要がある。

 ACPは少しずつ話していった方が良い。例えば「いよいよの時の話をしてみていいでしょうか?」などと問い、本人に拒否の態度がなければ、話を進めていくのが良い。

 患者の意思表示が難しい場合は、患者の意思を推定して判断する。その手段として、先生は家族などに、「この患者さんが話せたとしたら、なん言うのでしょうね?」と問いかけるようにしているという。家族には家族の思いがあり、家族間でも患者との関係性で、求めるケアは違ってくるという。ありがちな事例では、患者と同居していたり、すぐ側で看取りをしている家族は、もう楽にしてあげたいと話すことが多いが、それまで患者の側に居なかった遠方の親族は、何とか命を繋いでほしいと願うことが多いという。おそらく、側に居れなかったことの後悔の念を、命を繋いで欲しいと願うことで、埋め合わせしようとするのだろうとのことであった。

 ACPは家族のための支援ではなく、あくまで患者自身の支援であるから、「この人だったらどう考えるのだろう?」と問うことでその意思を推定する。推定するためには、メモなどの直接的情報だけでなく、日頃の行動から感じ取られる、その人の生や死に対する考え方、自由や希望などの人生観・価値観も、間接的情報として意思の推定には必要になる。

 推定するうえで重要なのは、チームで推定するのであって、いろいろな職種・立場で相談して推定することである。一人で決めない、決めさせないということが、チームで推定する上では大切なのである。なぜ多職種によるチームなのかというと、立場によって判断の基準が違っているからである。医師は死なせないことを重要視する。看護師は安全性を重視する。ソーシャルワーカーは調整を重要視する。それぞれの職業倫理の中で最善の選択基準は違うのである。だからこそ、患者の意思を、自分たちの職業倫理の色めがねで見てしまわないよう、多職種による視点が必要なのである。

 「本人だったらどう考えるのだろう?」それが、ACPの出発点であり、終着点なのである。

以上が、菅家先生による講演の要約である。

 

◆質疑応答

桑名医師 Q:家族の悔いが残らないようにする視点も必要だと思うが、どう思うか?

菅家医師 A:残される家族にとって大切な視点だと思うが、それだけでは本人の意思は反映されない。本人の気持ちを考えながら、家族の思いをくみ取る必要がある。

桑名医師 Q:患者の意思を推定するには記録は大切だと考えるがどうか?

菅家医師 A:私自身は電子カルテの中に自由記入欄があるので、その中にエピソード等を書いて残すようにしている。やはり記録がないと患者の意思を推定することは難しい。各専門職間で情報を共有する必要があると考えるが、言うほど簡単ではない。在宅医療だと情報共有は更に難しいと思うが、桑名先生はどうされているのか、逆にお聞きしたいくらいである。

桑名医師 A:今先生から、情報共有の重要性をお話し頂いたが、近隣の自治体では、「わたしのカルテ」という在宅ケアを担っている専門職全員が、同じファイルに書き込めるようにしたツールがあって、その普及を図っている。また、ネット時代の到来を踏まえて、福島県医師会も薦めている、「キビタンネット」も活用し、利用する患者さんも増えている。ケア情報だけでなく、患者さん自身の意思決定を支援するためにも、これら2つのツールの普及を更に進めて行きたいと考えている。

 

◆ワークショップ

12グループ(1グループ 6~7名)で約30分間のワークショップが行われた。 各グループの話し合いの内容が発表された。

 

 

 

 

 

◇ グループ3  発表者:医師

⇒延命措置を考えなければならなくなったとき、決めることができるのだろうかとの不安が意見として出た。例えば胃ろうなどは延命処置とみなされるが、その処置を施したとき、医師は患者に情報を提供していたのだろうかとの疑問の声が聞かれた。病気は終末に向かって進行してくことを各専門職が自覚し、支えていく必要があると確認できた。患者の価値観を専門職が一緒になって感じ考えていかなければいけないと思った。

◇ グループ7 発表者:ケアマネジャー

⇒往診を担当している医師より往診の際は、本音を出してくれない患者さんが多いとの話が出た。訪問看護や訪問介護の時に本音を語るようだ。その時の本音の言葉を医師にも教えてほしいと要望が出された。やはり、患者と価値観の共有が大事。しかし、本人は延命を望まなくても、家族が慌てて救急車を呼んでしまうこともある。死に直面する家族にも、日頃からの心構えや専門職の支援が必要なのではないかと意見が出された。

◇ グループ9 発表者:薬剤師

⇒患者さんの価値観をよく知ることが大事で、患者さんの考えも日々変わっていくことを理解しておくことも大事。各専門職では見る視点が違うため認識の差があるので、家族も含めて情報の共有をすることが必要。また、今後患者さんがどうなっていくのかを知っておくことが重要。そこで、専門職同士の情報をどうやって共有するのか、その方法と量をどうすべきか、その辺の検討が必要だとの話になった。

◇ グループ12 発表者:菅家医師(講師であった菅家医師もワークショップに参加頂いた)

⇒最初からの関りが重要で、患者さんとの信頼関係ができないと良い終末ケアにはならない。また、患者さんの考え方は変わってゆくものだとして、受容することが大事。本日講義をさせていただいたが、ACPの考え方を理解頂いたようで大変うれしい。

◆ 総評  桑名委員長

 ワークショップでも白熱した議論ができて大変有意義だった。ACPは終末ケアの手法であるが、その結果よりも、プロセスに価値が見いだせるように思う。終末ケアは死という結果で終えるわけで、家族は本人の思うようにしてやることができなかったと悔いを残すことも多い。しかし、本日講義頂いたACPの手法を用いることで、ケアのプロセスに価値を見出せ、家族の悔いも軽減できると思えた。講義頂いた菅家医師、並びに共催頂いた伊達医師会、そして本日参加頂いた、専門職の皆さんに感謝したい。今後も地域医療を皆さんと一緒に支えていきましょう。

以上が、今回の研修の様子である。

報告者:通所リハビリろくまんぼう 社会福祉士 鴨田昭

 

★★★ 研修アンケート調査結果公開 ★★

 当日研修に関するアンケートを行いました。以下に、調査結果を公開しますので、ACP研修の反響をご覧ください。

アンケート結果 ⇒ ACP_ENQ